思っていた以上に

思っていた以上に

とは、よくあります。
対峙する物事、もしくは人が急速に変化しているのか?
もしくは、自分自身が甘じており、「このくらいだろう」と見下しているからなのか。
ジャッジが難しめですね。

最近姪っ子5歳(親友)とアニメを見たり、テレビに出てくる人を
「あれって、〇〇ちゃん(姪っ子)じゃん」
「えっ、違うよ〜」なんていじる遊びをやっているのですが、singという動物が主演の映画を見ている時に

あれって、〇〇ちゃん(姪っ子)じゃん」と言ういつもの流れに対し
「動物じゃん。誰とかじゃないよ」と真剣に返され、成長と子供ながらに冷静さを保っているのが信じれられなかったのです。

もう一つ。
思っていた以上に世の中はいい方向に進んでいないのではないか?


特にクリエイティビティーは酷い方向へ向かっているように思えてならない。
サーファーがいい波を待つように、クリエイターがトレンドが来るのを待っている。そもそもクリエイターとは常にモードであり、トレンドそのものを生み出す存在ではないのか?
ビジュアルはドラッグ&ドロップで関節が動かせる。生成AIで「盛る」なんてレベルではない全く別の人物だって作れてしまう。
chatGPTで原稿は作られ、「文学」は外注扱いされ、コスト削減の対象。
人が作り出すから未完成で、隙だらけだとしても、コミニュケーションが生まれる。chatGPTの文を選ぶと言うことは、人間はスピーカーになると言っているようなものではないだろうか?
私たちはいつまでも誰のための人間なのかを忘れてはならない。

画面の中では殆どがフェイクになり、事物を見た時で際「こんなものか?」と感動が減少していくようにしか思えない。
だからこそ、対人である接客、リアルが生活において最も価値がある経験となるではないかなと。
「美しい誤算」を生み出す事ができるのは、やはり生物の特権ではないでしょうか?

BGM ;太陽 -ACO-

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